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卒業レーン③(新谷)

 どうも、経済学部4年の新谷です。本来はトップバッターでしたが諸事情でブログを書けず後に回してもらってなお催促を受けようやく書きます、すいません...

 

 今日は久しぶりに大学へ行き就職先に提出する書類を発行してきました。行った時は何も思いませんでしたが今振り返ってもう大学に行くこともほとんどなくなると思うと感慨深いものがあります。まあそもそもこの2年間碌に大学に通ってないですが。

 大学に行くこともなくなればブログを書くことももうなくなるということでこれもまた寂しさみたいなのを感じます。というわけで今回はダラダラと自分語りを書いていくつもりですがどうか最後までお付き合いください(いつもはあと4,5行くらいで終わっている)

 

 例によって陸上を始めたきっかけから話したいと思います。

 自分の陸上との出会いは中学2年の時...ですが実は1年生の時も陸上部の説明会を聞きに行ってました。僕が卒業した中学校の陸上部は春から夏にかけての期間限定で、毎年希望者を募り通常の部活の後集まって活動するという形式だったんです。確か当時は考えなしにハードルやりたいとか周りに言っていた気がします。今思うと全然向いてませんが。

 結局1年生の頃は陸上部のいかにも厳しそうなピリピリした空気に気圧されて入部しませんでした。通常の部活として野球部に入り、いよいよ2年生になろうかという時、当時の野球部の顧問(実は陸上部の顧問兼任)にこう言われました。

 

 「お前たち陸上部に入らないか」

(多分こんなかっこいい言い方じゃない)

 

 当時のことはもうかなりうろ覚えですが半強制的な雰囲気だったような気がします。野球部の同級生は大体みんな入っていたような記憶があるので。

 かくして思いがけず陸上部に入ることになりましたが、そこで出会ったのが陸上部のお手伝いをしている理科の先生。冬でもなぜか半袖で過ごすこの先生は厳しいですが同じくらい面白い先生で、この先生のおかげで陸上の道を進んでいくことになりました。振り返ると色々な面で影響を受けた恩師の一人です。

 

 まだ大学入学前なのに尺取りすぎました。高校は短めで行きます。

 高校では本格的に陸上をスタート。自分でメニューを考えたり他校と合同練習したりして陸上の基本のキの字を学んだ期間でした。顔見知りも増えたし部員が少ないながら色々な大会に出ることができたのもいい経験になりました。特に1年2年と県駅伝で1区を任されたのは印象深いです。2年の時は序盤で足を取られて派手にズッコケ血をダラダラ流しながら走り、帰りに財布を盗まれたことに気づくという散々な思い出があります笑

 

 そして大学です。高校までの流れもありますし他に何かやろうと決めていたこともなかったので初めから陸上部に入るつもりでした。

 やっぱり一番中身が濃かったのは1年生の時です。自分より実力がうんと上の同期、先輩にもみくちゃにされて色々なことを学び、陸上の奥深さを味わい、跳ね返されました。どうしようもない敗北感やらなんやらを感じたこともありましたが、合宿や遠征など他では得られない体験をすることができ非常に大きな経験になりました。その集大成としてタワーパークマラソンで自己ベスト更新、5位入賞できたのはメチャクチャ嬉しかったです。また密かに嬉しかったこととしてこれまで10キロ以上まともに走ったことがなかった自分がハーフマラソンを完走できたことは大きな思い出になりました。

 2年生からは下山しそこの仲間たちと練習に励みました。やはり一番の思い出は瀬戸近郊駅伝ですね。言いたいことは大体佐合が先に言っちゃいましたが駅伝は僕らにとって陸上の華のようなもの、最高に楽しかったです。結果的に自分が名古屋市立大学として出場した駅伝がこれで最後になったのが残念でなりません。

 そして3,4年。面接官に「この空白期間は何をしていたんですか」と聞かれると言葉に詰まってしまいそうな期間ではありますが陸上部員として一回終わっていたのは確かだと思います。しかしそこで思わぬところから駅伝のお誘い。結果的に出場はかないませんでしたが、一人で練習しながらどこか仲間と一緒に練習している感じがしたのが非常に懐かしく、楽しい期間でした。

 結局この間は1回しか部の練習に参加することができず、ふがいない形で部を去ることになりました。本当に申し訳ない。コロナから後輩たちとほとんど関われなかったのが心残りです。

 

 そういえば僕は重要な大会の前にアクシデントが起き、きれいに最期を締められないことに定評があります。中学最後の大会は怪我で欠場、高校最後の大会は怪我のため1種目のみの出場、大学1年生の時の27大はこれまた怪我で欠場、2年生の時の27大は前々日入りからスーツケースの鍵を忘れ競技は途中棄権とトリプルコンボを決めました。この不吉な男が卒業するので来年はコロナも終息し27大も開催できるでしょう。後輩たちが熊谷の地で躍動することを心から応援したいと思います。あとストレッチはちゃんとすること。これ大事。怪我しちゃうから。

 

 自分が書けるのはこんなもんかと思います。後悔はない!...は嘘かもしれませんがほんっとうに充実した日々でした。陸上部に入っていなかったら実に空虚な大学生活だったと思います。バイトしてないし。

 

 最後に先輩方、同期のみんな、後輩たち、高石先生、その他陸上を通じて関わったすべての方に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!

 

 

 次はどうやら生きているらしいちゅんに回します。