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卒業レーン⑤(藤井)

 4年の藤井です。

 最後のブログを書きます。

これまで圧倒的にブログの文字数が少なかったと思いますが、実はこのブログでしっかり書くための伏線だったのです。

 

  僕は広島出身であり、中学、高校と野球部に所属していました。自分でもなぜ、名市大の陸上部で活動してきたのか、不思議でたまりません。周りの人からは「なんで?」と聞かれますが、誰もが納得できる決定的な理由があるわけでもないので、返答がバラバラだった気がします。


 入学前、部活やサークルを何にするか考えた時、フットサルがやりたいと思っていました。昔からサッカーが好きで、時間と人数さえ揃えば、サッカーをやっていた気がします。スポーツ全般好きですが、特にサッカーとバスケって楽しくて好きだったんですよね。生まれ変わったら、きっとサッカー部に入ります。高校に入る時も、野球じゃなくてバスケがやりたくて、バスケ推薦で高校に入学する友人と春休みにめちゃくちゃ練習していました。結局、タイミングが悪く、バスケ部ではなく、野球部に入りました。正直、野球ってしんどいです。体力的にも疲れますが、精神的な部分が一番大きいと思います。その分、達成感は強いですけどね。

 話が逸れました。大学に入学してから、新歓期間が訪れた頃、風邪を引きました。普段風邪を全く引かないタイプですが、咳が止まりませんでした。授業もしんどかったです。(熱があったけど、シャトルランだけは意地でも100回まで走りました。)こんな状態だったので各部活、サークルの新歓には参加しませんでした。それに加えて、名市大のフットサルは僕のイメージとは異なるものでした(やや苦情)。他の選択肢として、野球、陸上、ハンドボールなどがありました。入部するかはわからないものの、興味ある所の新歓には行こうと思っていましたが、咳は止まらないし、しんどいので行けませんでした。元気になるまでしっかり考えよう、と思いつつ、やや諦めムードが漂っていました。でも、体動かすの好きだしなぁとか、このまま何もしないのもなぁとか、色々と考えた気がします。野球は高校までで満足した感じもあり、新しいスポーツやってみたいと思って、とりあえず陸上部の体験行ってみようと先輩に連絡しました。いきなり山の上の練習に行きましたが、何をやっているのか意味が分かりません(がち)。競技場はチャリで行くには遠いし、毎回地下鉄で行くためのお金はないし、これはこれは悩みポイントが多すぎました。北陸での練習にも行ったりして(北陸は近くて良き)、悩みに悩みぬいて、誰よりも遅い7月頃陸上部に入部しました。ブログを書きながら、入部までの経緯を思い出そうとしましたが、記憶の全てが曖昧なんですよね。でも、なんだかんだ陸上のスパイクを履いて、タータンとかいう地面の上で100mを走ってみたかったんです。

 そして、間もなく27大がやってきます。仲がいい人どころか、顔がわかる人もほとんどいない中(N先輩留学してたんだよなぁ笑)、27大前日の夜、先輩たちとココスに行きました。ただの夜ご飯ですが、先輩達が面白かったのか、不思議だったのか、印象深いです。試合の方は、前日に初めてスタブロを練習し、野球部引退からろくに体を動かしていない状況で、記録も平凡。まあ、陸上の試合に出るという経験はできました。その後の秋季大会で11秒台は出せたものの、筋肉落ちててどうしようもないなと感じました。1年生の冬から2年生の秋まで筋トレやダッシュを重ね、1年生の時よりはさすがにいいタイム出るだろうと思いながら、何回か試合に出てベストは出たものの、自分的には誤差みたいなものでした。

 


 2年生の27大後から秋季大会までの期間、考えました。筋トレして体戻して、ただただがむしゃらに走ってもこれ以上早くならないんじゃないか?それまでの約20年間、自分の走り方を意識したことなど一度もありませんでした。ただ筋肉つけて、足と手を速く動かせば動かすほど、速く走ることができる。オリンピックで見る陸上選手は、筋肉しかなくて、体を素早く動かせるからあんなに足が速いのだと、そう思っていました。2年生の冬季に入った頃、陸上というスポーツを何も知らない、分からない僕はひたすらネットで調べました。重ねて、話を聞ける人にはできるだけ正確?な情報を聞きました。でも、実際何が良くて、何が悪いのか、さっぱりでした。陸上に限らず、多大な情報が溢れる現代の負の側面にぶち当たった気分でした。一つだけ理解したことは、陸上選手の中に俺みたいな走り方で何にも考えていない人はいないということです。高校生の時、陸上部の人の走り方を綺麗すぎると何度も言っていた友人の意味がやっと分かりました。


 春休みの終わりころ、僕はたけひろさんのブログを読みました。率直に、練習量やばくね?!って思いました。ちょうどコロナ禍に入ったある意味良いタイミングでもあり、今までの自分の走りは全て忘れ、1から始めました。週5で練習し、色々なことを試し続けました。それまでは雨の日はほとんど走っていませんでしたが、陸上に雨関係ないよなと気づき、梅雨の時期も走り続けました(すべらないようにね)。しかし、バイトで月10万以上稼ぎ、大学の授業がオンラインに変わったことで今までとは比べ物にならない量の課題が出され、3年から始まったゼミは週3以上でミーティングが行われ、そんな中で、週5で走っていた僕は身体が壊れていく音が聞こえてきました。優先順位を考えた結果、バイトを半分以下に減らしました(それから年々働かなくなってしまった)。そのおかげで、だいぶ楽になりました。この年は、非常に残念なことに、秋季大会の一回しか試合に出られませんでした(コロナで試合がなかった)。1試合だけでしたが、PB出たのは良きでした。フォームも何も考えていなかったときよりはましになったことでしょう。相変わらずスタートは下手くそすぎますが、、、。

 


 陸上部としての活動が残り1年になった頃、どうしても10秒台、本音を言うならもっと速いタイムが出したくてたまりませんでした。しかし、今の状況でそこまでたどり着ける気がしませんでした。何より陸上を直接教えてくれる人、また、短距離の練習を一緒にしてくれる人がいませんでした。今はリレーに出れるくらい短距離の部員がいますが、部活を辞めたり、卒業してしまったりして、練習的には孤立していました笑。そこで、たけひろさんとちすみちゃんに相談して(お二方、感謝してます)、山の上に行くことにしました。ばかなのか、無謀なのか、能天気なのか、あっっっったまおかしいのか、合理的なのか、天才なのかわかりませんが、あまりにも遅すぎる山登りを始めました(いぇい)。最初の練習日、ちすみちゃんと山に向かうにつれて、変な緊張感が高まっていったことをとても覚えています。この日はすでに激動の1日を過ごしていると誰もが分かるとは思いますが、さらにそれを超えていきました。はい、、、肉離れしました、、、、。うん、意味わかんないよね、俺が一番意味わからんかったもん。まあ、急に寒くなった時期で、アップもせずに、150mの流ししたら怪我してもおかしくないって今なら良く分かります。野球をしていた頃から、自発的な怪我をしてなかったのに初めての怪我がこのタイミングかよって思いました(スパイクで踏まれたり、デッドボールで歩けなくなったことはある)。初日から戦線離脱し、大した練習ができなくなった僕は山の上で何をしているのだろうと思いながら、体幹ばかりしていました。でも、モチベーションが下がるどころか、上がっていくんですよね。そして、焦りに焦りまくった結果、1回目の肉離れから1か月も経たない頃、いきなりメニューの150150に参加し、スタートから30m地点で倒れこみました。え?? はい、2回目の肉離れです。ほんと意味わからん。何がしたかったのか。きっとみんなそう思ったことでしょう。まあ、治ってる気がしたし、謎に行ける自信があったんですよ。テスト前、勉強していないのに良い点が取れる気がするときのようなね。大反省です。この怪我のおかげで3ヶ月時間を無駄にしただけでなく、カーブを全力で走れなくなりました。怖すぎました。

 この2回の怪我で終わらないのが、この年の陸上でしたが、怪我の話なんてもう聞きたくないと思うので、簡単に書きます。

    怪我③肉離れ 

 怪我④上半身が全く動かせなくなる(ろくに生活できんかった) 

 怪我⑤胸と肩の間辺りの痛み(腹筋とか一切出来ん)  

 怪我⑥肉離れ

こうして、わずかな期間で計6回も怪我をしました。肉離れしすぎて、どっちの足だったか分かんないや。

 

 でも、複数人で走ったり、10秒台の後輩?とかにも色々話が聞けたりできて良かったです。

こんな中途半端な時期から来た自分に構ってくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。



 6回も怪我をしましたが、このままでは終われません。結論から言うと、最後の怪我から復帰して引退するまでの4か月程、怪我をしませんでした。プラシーボのようにBCAAを飲み始め、屋貝さんに連絡して、練習を見てもらいました。1つ新しいことに気づいたおかげでこんなに変わるものなのか、と思いました。100mって深い。意識が大きく変わりました。秋季でベストが出て、まだいけるって思ったので、自分で大会を探して県外の試合に出場しました。PBでましたが、今年一のくそスタートを繰り出してしまったので、また自分で探して12月の試合にもエントリーしました。スタート練習たくさんして、良い感じだったのですが、試合前一週間の調整がどうしても上手くいかず、結局、試合には出場しませんでした。10秒台出せなかったし、悔しかったですが、これにて陸上を引退しました。


 実は中途半端が嫌いなタイプなので、もう陸上に関わるのは終わりです。陸上部に入るタイミングも、陸上が球技の走り方と全く違うことに気づくのも遅すぎたし、大事なタイミングで怪我ばかりしてきましたが、陸上ができて良かったです。名市大じゃなかったら絶対陸上部入ってないけど、陸上を辞めようとは一度も思わなかったし、名市練もおそらく最多参加だし、良き思い出です。


 秋季大会でリレー練習や本番走ってくれた後輩ありがとう。初めてリレーに参加できて楽しかったし、良かった。色々とハプニング発生しすぎたけどね笑

 

 後輩達(先輩もだけど)、中学や高校でやってきた陸上を大学でも続けていることは、決して当たり前ではなくて、尊敬に値する本当にすごいことだと自分は思ってます。陸上部に限らず、大学の部活動は途中でやめてしまう人が多いですが、非常にもったいないよね。どんな理由であれ、大学でも陸上をやろうと決めた想いがあると思います。コロナとかで大変だと思うけど、それを大切にしながら、目標でもいいし、動機は何でも良いと思うので継続していって欲しいです。影ながら応援しています。

 あ、怪我には気をつけてね。

 

 

以上で陸上部のイベント&ドライバー担当を務めた藤井の卒業ブログを終わります。

 次はたけひろさんに回します。

 お世話になりました。

 

 4年間楽しかったです。ありがとう。