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6年間ありがとうございました(山田)

山田です。

 

最後なのでかなりしっかり書きます。

 

①陸上競技生活の振り返り

②医学生生活の振り返り

③これからのこと

 

こんな感じで書きます。

 

①陸上競技生活の振り返り

陸上競技を始めたのは小学校5年生の時でした。

京都市では公道を止めて行われる小学校対校の駅伝大会があり、それに出場したかったので陸上競技を始めました。

初めての練習の日、今でも忘れません。

1000mTTで5分10秒かかりました。

全力で走ってですよ?

さすがに遅すぎん?

それでも毎日タイムが伸びていくのが楽しくて続けているうちに市内大会で入賞できるようになりました。

中学校でも仲間に恵まれ、楽しみながらもかなりハードに陸上競技に取り組みました。

走ることは好きだったのですが、記録が思うように伸びていかなかったこと、志望する高校で盛んであったことから中学3年生のころには

競歩を始めると決め、秋ごろからは陸協主催の競歩練習会にも参加し始めました。

無事志望校に合格し、競歩を本格的に始めました。

高校の2つ上にはインターハイの競歩で優勝する先輩がいらっしゃり非常に恵まれた環境でした。

この先輩は東京オリンピックでメダルを獲得されています。

高校時代は一時的な記録の停滞はありつつも、3年間で大きく記録を伸ばすことができました。

顧問の先生もかなり厳しかったですが非常に教育的な方で、人間的にも大きく成長できました。

引退試合は近畿インターハイで失格。

ここでの不完全燃焼感が大学での競技継続の要因の一つです。

大学入学後は陸上競技部か球技をのんびりやるのもありかなと思っていましたが山の上の見学に行ってすぐに入部を決めました。

100人以上の仲間と一緒に400mのオールウェザーで練習ができるというのは非常にテンションが上がりました。

1年生の頃は集合練習が週3回あってそれ以外で1.2日軽く動く程度。

今考えると相当ぬるい練習をしていました。

怪我無く体を戻していくという意味では悪くなかったのかもしれませんが。

1年生の春に20㎞のレースへの出場が決まってからは心を入れ替え、週6回練習するようになりました。

休養日は水曜日だったり日曜日だったり変わっていますが基本的にこの生活が6年生の2月まで続きます。

練習量が増えれば競技力も上がりやすいのは当然で2年生の頃には5000mの高校時代の記録を更新、20㎞でも日本選手権標準を突破することができました。

日本選手権標準突破のレースは私の競技人生のハイライトの一つかと思います。

調子のいい時こそ怪我に気をつけろというのは本当で、日本選手権出場後すぐに怪我をしてしまいました。

当時は怪我の経験がなく、よくわからなかったので頑張って練習を続け、悪化させてしまいました。

結局2か月ほど全く歩けなかったと思います。

休養、ケアの大切さを身をもって知りました。

3.4年はどちらかというと耐える2年間でした。

練習量が減ったわけではないのになかなかうまくいかなくなって焦ってフォームを崩す→失格というレースが多かったです。

4年生の夏合宿、ここがターニングポイントになりました。

翌年の50㎞競歩に出場すると決め、練習距離が格段に増えました。

週120kmを目安に距離を踏むことでフォームの改善、スタミナの強化がされ10000m、20㎞で大幅に自己記録を伸ばすことができました。

結局50㎞の大会はコロナウイルスでなくなってしまいましたが、そのプロセスで練習の組み方が改善され5年生6年生での好結果につながったと思います。

5.6年生は実習の開始、コロナウイルスの蔓延などいろいろありましたが週6回の練習は継続していくことができました。

泊りがけの実習の際にはシューズや練習用具を持ち込み、朝や実習後に練習しに行きました。

そのおかげで愛知県のさまざまな街を走ることができて楽しかったです。

走ってて気持ちよかったのは豊田市かな。

道も広くてとても走りやすかったです。

部活動の停止や普段練習していた北陸上競技場の閉鎖などいろいろありましたが山崎川や名城公園でポイント練習をしたりして

何とか週3回のポイント練習は確保していました。

残り僅かな時間ですが記録を伸ばしたかったので妥協無く取り組みました。

1か月間栄養士さんに毎日食事を送り、アドバイスをもらって食事の改善を行うこともしました。

5年生の秋、ようやく競技会が開催されるようになりそこでしっかりと5000m、10000mの自己ベストを大きく更新することができました。

6年生は自分史上最強の年だったと言えます。

東海インカレ2位、愛知県選2位、東海選手権5位と自己最高成績を残し続けることができました。

競り合った場面でも勝ち切ることができ、勝負強さが光ったシーズンだったと思います。

秋以降も国家試験の勉強と並行して練習を続けることができました。

こうなることは分かっていたのでかなり早くから国家試験の勉強を始めており、本当に良かったと思います。

2月の日本選手権で自己ベストを更新して引退する、それだけを考えて生活していました。

神戸で行われる日本選手権はそれだけ私にとって特別なレースでした。

順調に練習をしていましたが12月、怪我をしました。

以前と同じ場所です。

日本選手権までの日付が1日1日減っていく中治ることを信じてエアロバイク、スイム、補強に取り組む日々が続きました。

もういっそのこと諦めてしまおうか、そう思うこともありました。

国家試験を終えた翌日から遊びまくれるし。

しかし、先輩の言葉が常に私を引き留めてくれました。

"エースはどんな状況でも速くなることを諦めない"

私の8学年上の名市大陸上部の先輩の言葉です。

お会いしたことはありませんし、顔すらも知りません。

しかし私は常にこの言葉に支えられ、前を向き続けることができました。

安静や治療のおかげでレースまで残り3週間のタイミングで復帰することができました。

自己ベストの更新が不可能ではないレベルまでは戻っていたと思います。

しかしそんな折、コロナウイルス蔓延による部活動停止が決まりました。

学生課に掛け合いましたが得られた回答は特例は認められない、というものでした。

6年間目標にしていた試合に出場すらできない、その事実はすぐには受け入れがたく、しばらく呆然とする日々が続きました。

こっそり出場してしまおうか、そう思うこともありましたがやはり後輩たちへの影響を考えると出場へ踏み切る判断はできませんでした。

最終的にはレースの数日前、欠場することを決心しました。

2月19日、日本選手権の前日、庄内緑地での20kmペースwalkを行い、大学陸上競技生活に終止符を打ちました。

 

大学生活の本当に多くを陸上競技に捧げてきました。

競技に支障の出ることはできるだけ避けて生活していました。

オールでの遊び、遅くまでの飲み会、長期の旅行なんかはほとんどしていません。

陸上競技者ならこのようなストイックな生活を行え!なんてことは言いません。

それでも、何かを得たいのであれば何かを捨てなければならないのは事実だと思います。

私自身大学生活で得られてはずのたくさんのものを捨ててきたことは否めません。

それでも、それに見合うだけのリターンはあったと感じています。

記録を更新した時の喜び、陸上競技を通じてできた心から大切にできる仲間たち、

目標達成のための計画の立て方、どんな困難にでも立ち向かえるという自信、こういったものは競技を辞め体は衰えても

私の心の中に残り続けると思います。

 

てか全然話変わるけど、最近ようやく献血に行くことができました。

競技をやっているときはなんとなく競技に影響が出そうで行けなかったのですが。

名古屋駅の献血ルーム結構よかったですよ。

興味ある人は社会科見学のつもりで一回やってみてはいかがでしょうか。

体への負担の少ない成分献血っていう方法もありますし。

 

 

②医学生生活の振り返り

すみません、正直に言います、特に考えもなくなんとなくで名古屋市立大学に来ました。

全国どこでも医師免許はとれるし国公立ならどこでもいいや、というのが本音でした。

しいて言うなら一人暮らししたいし近畿以外とは思っていたけど。

しかし、卒業する今になっては心から名古屋市立大学で良かったと思っています。

 

簡単に医学生の6年間をご説明しますと、

1年生→教養

2年生→人間の健康な状態の勉強

3年生→病気の基礎的な勉強

4年生→病気の臨床的な勉強

5年生→病棟実習

6年生→病棟実習、就職活動、国家試験

こんな感じです。

1年生は一般的な大学生と一緒で普通の授業です。

体育の卓球楽しかったなぁ。

2~4年生は週5で4コマ授業になります。

まあきついといえばきついのですが16時過ぎには終わるしそんなに忙しい感じではなかったです。

ただ、テスト前だけはかなり大変でした。

膨大なテスト範囲からどこが狙われるのかを知ったうえで対策しなければなりません。

名市大のいいところは過去問や資料が全体で共有されることです。

ほかの大学の話を聞いていると部活内でしか回さない、という話をそこそこ聞きます。

私のように学年で部員一人みたいな部活に所属する人でも全く困りませんでした。

5.6年生は病棟実習でおそらく一般の方がイメージする医学生らしいことをします。

大変なことも多かったですが終わった今振り返ると楽しかったなぁという印象です。

指導してくださった先生方には頭が上がりません。

診療+研究+教育までやっている大学病院の先生は本当にすごいと思います。

教育も含めて給与が支払われていると言えばそこまでですが先生の奉仕精神に支えられている部分もかなり大きいと思います。

給料もっと上げてもらいたいです。

名市大の先生はいい人多いんじゃないですかね。

他の大学病院を知らないので比較はできませんが。

実習していても非常に教育熱心な先生が多かったです。

私たちの代は実習が始まったとたんコロナが流行しましたが結局実習中止期間は1か月だけでした。

これは全国的に見ても異例と言えるほど短いです。

丸一年ほとんど実習できなかった、みたいな大学もある中ほぼ影響なく実習できたことは本当にありがたかったです。

正直当時は他の大学いいなーみたいな思いも少しはありましたけどね。

6年の秋に実習が終わってそこからは国家試験勉強です。

これも名市大の素晴らしいところですが3~16人のグループごとに勉強部屋が与えられます。

7時から0時まで使えて便利でした。

夏以降は基本的にここに篭ってましたね。

医学部の後輩にアドバイスですが厚生会館ではなく基礎棟にしといたほうが絶対いいよ!

私は12人の勉強部屋だったのですがこの12人は鋼の絆で結ばれていると思っています。

5年生まではそんなに絡みのない人も多かったのですが1年間かけて非常に仲良くなることができました。

あと名市大医学部のいい点をもう一つ上げるとすれば部活への加入を強制されないところでしょうか。

医学部は一般の方が想像する10倍は体育会系の世界です。

体育会系部活動への加入は当たり前だよね、なんていう医学部は山ほどあります。

というかそっちのほうが一般的かも。

名市大はその風潮がなくて医学部の中ではかなり文化系な雰囲気だと思います。

週3以上活動してる部活もほぼないし。

サークルだけとかどこにも所属してないなんて人が多数いる医学部はかなり珍しいんじゃないですかね。

部活ガチ勢としてはスポーツに青春を賭ける同志が少ないのはやや寂しかったですが私は名市大のこの感じが好きです。

6年間住んで名古屋の街も大好きになったので本当に名古屋市立大学に来てよかったなと思っています。

 

③これからのこと

陸上に関しては引退試合がなくなってしまったので何かレースに出て終わりたいなぁと思っています。

今年7月の千葉県選手権が有力かな。

土日も仕事の可能性があるので何とも言えませんが。

ちょこちょこ練習して何とか入賞できる程度で歩ければって感じです。

走ることは好きなのでその後も走ると思います。

新天地に引っ越してきて1週間ほどですが素敵なランニング仲間たちをすでに見つけることができました。

明日も入職式だけど6時半から走るらしいよ笑

 

何科になったの?とよく聞かれますがまだ決まってません。

2年間の初期研修を終えて、そのあとに専門の道に進んでいきます。

初期研修は千葉県の病院で行うことになりました。

割とと言うかかなり田舎です。

引っ越した初日はとんでもないところに来てしまったと思いましたがさすがに1週間もすれば慣れました。

住めば都というのは本当ですね。

私が霞むようなとんでもない化け物達がそろう病院なので同期に刺激を受けながら素敵な2年間を過ごしたいです。

俺より部活ガチだった奴おらんやろ、と高をくくっていたら同期に5000m14分台、とある競技の大学日本代表なんかがいました。

調子に乗りました、すみませんって感じ。

謙虚に頑張っていきます。

自称名市大医学部のエースとして、医師として常に進化し続けていきたいです。

千葉県に何年間いるかは分かりませんが最終的には名市大病院に戻るつもりでいます。

やっぱね、名古屋は好きなんですわ。

老後は知多でのんびり暮らすという野望があります笑

岐阜もいいけどね。

まあまだまだ時間はあるので悩みます。

 

ようやく社会人です。

24まで学生でしたからね。

入職を明日に控え非常に楽しみに思っています。

働きたくないという人も多い中本当に幸せなことです。

正直ここまで私自身の力で成し遂げたことは何一つないです。

大学生活で部活動と勉強にすべてを捧げてくることができたのは親というとんでもないスポンサーがいたからです。

全ての学費、バイトをしなくても全く困ることのない生活費を支払ってもらっていました。

しかもうちの両親ね、結構いい人なんですよ。

不満が全くないと言ったら嘘になりますけど。

馴れ初めがどうもなんちゃってじゃなくて本気のボランティアサークルか何からしくて、そりゃいい人だよねって感じ。

私は今流行りの親ガチャで言うととんでもないSSRを引き当てたわけです。

今のところ私はほぼ親ガチャ当たりの恩恵だけで生きてきました。

何かを自分自身の力で成し遂げるというのはおこがましい言い方なのかもしれませんが少なくとも4月から経済的には親から離れて自立します。

今まで自分が恵まれてきた分、他人を利することができるようにがんばっていきたいです。

 

もっと推敲して書きたかったのですがなんやかんやしているうちに31日になってしまいました。

いろいろ書きましたが、とにかく後輩の皆さんの活躍を応援しています。

頑張ってください。

どうせやるなら高みを目指したら楽しいんじゃないですかね。

 

名古屋でのOB会参加は数年間はちょっと難しいかなと思います。

27大の応援のほうが行きやすいかもしれません。

OB会費はちゃんと払います笑

 

6年間本当にありがとうございました。

それではみなさんまた会いましょう!