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ある卒業生の独白(伊藤)

卒業レーン1番手を務めさせていただきます伊藤です。

競技面で振り返ることが他の方よりも少ないと思うので大学生活の振り返りもしながら書いていけたらと思います。

 

振り返ってみるとあっという間に過ぎ去った大学4年間でしたね。

新たな生活に胸を膨らませて大学に入学した1年生。大学に入ったら適当なサークルに入って楽しく過ごそうと考えていたので、受験期間中にしていた運動といえるものは勉強の息抜きのためのお散歩ぐらいでした。そんな感じだったので入学時点では現役の頃よりも10㎏ぐらい太っていました。

なんやかんやあって陸上部に所属することになった私はほどほどに頑張って秋ごろには体重を元と同じぐらいに減らすことに成功します。この頃になると山の上でも一応練習メニューをちゃんとやり切ることができるようになってきて陸上の面白さを思い出してきていました。

 

そんなところにやってきたのがコロ助くんこと新型コロナウイルスですね。このウイルスの感染拡大によって集団での練習ができなくなったことが私にとっては結構な痛手でした。自分が思っていたよりも精神力が強くなかった私は1人では長距離、長時間の練習を消化できませんでした。

このタイミングで自分は陸上という競技よりも陸上部、山の上というコミュニティが好きでそこで過ごす時間こそが本当は好きだったことに気付いてしまいました。

 

そのことに気付いてしまい、直近で目標にしていた大会の中止などが重なったことで私のモチベーションは低下の一途をたどります。エンジンのかかり始めが遅く、惰性で動く私はここから自分を立て直すことができず、2年の時間を競技からほとんど離れて過ごすことになります。

ただ、3年の最初に行った健康診断で自分が覚えていた体重よりも10㎏太っていたことを知った私はようやく重い腰を上げ、健康になることを目的に日々の運動を再開し、減量に成功しました。大学4年間のうちに10㎏の減量を2回成功させているので減量にはだいぶ詳しくなりました。

 

新型コロナウイルスによって陸上という面で見ると大きくマイナスの影響を受けましたが、学業の面では結構プラスも多かったように感じます。自分自身が教職課程を履修していたこともあり、2年次や3年次には半期で35単位近くの履修を組むことになっていました。これらの大量の単位を1つも落とすことなく取得できたのは例年はテストで評価を行っていた科目の大多数がレポートに変わったこと、講義がリモートになり天敵であった出席、遅刻から解放されたことが大きかったと思います。

 

そんなこんなで4年生になります。教職課程を履修していたこともあって3年次までは教職の道に進むつもりでいましたが思うところがあり、民間での就活を始めることになります。

周りの大学生は3年次の夏インターンから、早ければもっと前から就活をしているため、4年春の就活海禁(建前)から本当に就活を始めることになる上に、教育実習が5月に重なることから大手の選考も普通のフローでは難しいということで短期決戦で就活を終わらせなくてはいけなかったため難易度はなかなか高かったですが、幸運にもご縁を頂けて目論見通り早い段階で就活に区切りをつけることができました。

 

内定をもらえたことで安心しながら行くことができた教育実習。母校で受け入れて頂けたおかげで恩師の方々と再会することができ、また、同級生たちと実習を行うことでプチ同窓会のような形で楽しく過ごすことができました。

生徒だった時代とは違い、授業を行う側の視点に立って高校の授業を見るという体験はなかなかに面白いものでしたし、実際に自分が授業を行うこともとても楽しみながらできました。実習を通して自分は人に何かを教えるということが本当に好きなんだなと気づきました。教員の労働条件さえもっとまともであればきっと私は教職についていたことでしょう。許すまじ給特法。

 

就活も実習も終わり4年生として最後の仕事だなと思っていた27大戦では脚とお財布になるつもりでしたが、なぜだか知りませんが前日の夜までバイトのシフトを入れていたため脚になることは叶わずお財布としての役目を全うすることだけが私に課せられた任務となりました。

台風の接近する中多くの方々のご尽力で開催されることになった27大戦、当日の始発の新幹線で2年ぶりに上尾の競技場に着いて見た、後輩たちが雨風に打たれながらも頑張る姿はとても素晴らしいものでした。

2日目に事件は起こります。なんと寝坊しました。起きたら枕元には充電されていないスマホと9:30を示すデジタル時計。マッハで充電コードにスマホをつなぎ顔を洗い、着替えたことを覚えています。可及的速やかに競技場へと向かい土下座にて謝罪をさせていただいた上で昼食代を出させていただきました。財布冥利に尽きるとはあの事でしょう。

3日間の開催期間で部員のみんなが頑張っている姿は輝いて見えました。傍から見るだけではありましたがとても楽しかったです。もしもコロナが無かったら、もしも自分にもう少しだけ根性があればそこに混じれていたかもしれないですね。

 

大学生として最後に走ることになった瀬戸近郊駅伝では最短区間を走る予定でしたが、直前になって佐合さんが怪我をした事によって区間を変更することになり、予定の倍の距離を走ることになりました。大学で最初で最後の駅伝でしたがとても楽しかったです。

 

以上が私の4年間の振り返りです。精神力の弱さゆえに競技者としては失格だった私を4年間この部活においてくれたみんなにはこの場を借りて感謝したいと思います。本当にありがとうございました。より良い大学生活、新社会人生活が送れることを願っています。

 

次は気づいたら同じ学科になっていた成美に書いてもらおうと思います。