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卒業レーン 3 (木下)

なるみから回してもらいました木下です。

書き始めた当初は卒業旅行中でした。なかなか頭が回らず書き終わりませんでした。


卒業レーンのブログが遂に回ってきました。

今まで先輩方が書いているのを見て、わぁ皆さん居なくなってしまうのかと感じていたあのレーンに自分の番が来ました。時の流れは早いですね。




卒業するにあたって軽くこれまでを振り返らせていただきます。


私は小学5年生くらいから陸上を始めました。なんやかんやでずっと陸上の選手として続けていく中で、大学ではもういいかなと思っていました。

そのため友人とともに見学に行った際もあまり選手としての参加には意欲的ではなく、マネージャーとして参加しました。

その中で、先輩方とお話するのがシンプルに楽しかったこと、そしてなんやかんやで長く続けていた陸上というものから完全に身を引くのが寂しくなったことから、マネージャーという別の形で陸上に携わりたいと感じました。


このように正直ふんわりとした気持ちから始めたマネージャーという仕事でしたが、1年生の時は正直大変でした。とにかく選手の名前が覚えられませんでした。とても申し訳ないですが、何人も同じ顔に見える方々がいらっしゃいました。仕事も不慣れだったことから覚えも悪く先輩方には恐らく迷惑もかけていたと思います。ただ今までと違った観点から陸上に携わること自体はとても楽しく、新鮮な感覚で向き合いながら過ごしていました。


そんなこんなでバタバタと過ごす中で、27大戦というビッグイベントが来ます。名市にマネージャーは不慣れな私1人で、正直知らない先輩も沢山いる。ものすごく緊張しながら向かいましたが、結果としては先輩方が協力して下さったこともあり仕事もおそらくなんとかなり、めちゃくちゃ面白くて素敵な先輩がいることを知るきっかけにもなりました。


2年生以降はコロナ禍だったこともあり部活動の頻度も下がったりしたものの、毎年面白くて優秀な後輩が入ってきてくれました。名市のマネージャーも増えました。同じ大学のマネージャーというのは心強いもので、後輩力激高でかわいらしくて優秀なまゆちゃんにはたくさん救われましたし、とても楽しい思い出がたくさんできました。


私はあまり名市の練習にも参加していなかったため、名市としてみんなで活動した思い出は少ない方だと思います。それでも27大を初めとした大会や練習での皆さんのサポートや交流、そしてご飯会やディズニー、ユニバ等々遊びでの思い出。これらが私の中で陸上部でマネージャーを続けられた活力のひとつだったことは間違いないと思います。


何度か口頭でお話したことはあるので聞いた人もいると思いますが、私個人の感覚としては、マネージャーはどちらかというと他人のために頑張る役職であることから、モチベーションが低下しやすいのでは無いかと考えています。そんな中で自分で出来る仕事や交流出来る人が増えていく時や自分の仕事が役に立っているのかな、と感じる時はこれもまた活力になっていたと思います。


名市の人を初めとし、こういった感覚を与えてくれた皆や環境には非常に感謝していますし、今までとはまた違ったマネージャーという役職を選んだ過去の自分にも感謝しています。きっかけはふんわりしていたもののここまで続けられたということは選択は正しかったんだなぁと思っています。


そしてやっぱり身近で見てきた同期の4人と、一緒にマネージャーをしてきたまゆちゃんには特大の感謝を捧げます。本当にありがとう!


皆さん、本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。

これからも頑張って下さい、応援しております。




最後だし多少はいい事書かないとなと思いながら書いたのですがそんなにだな、文字に起こすのって難しいですよね。


次はゆいぴに回します。(卒業レーン?)

回す回す言ってから数日経ってごめんね、、、