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卒業レーン1(音田)

卒業レーン1番手を務めます。音田です。前回のブログと似た内容になるかもしれませんが、振り返っていけたらなと思います。

 

小学4年から始めた陸上ですが、なんやかんや大学まで続けてました。大学の陸上は、コロナで1年生での出場はなし、11月くらいから練習に合流したと思います。そこからまん延防止等で練習が禁止になったりで、なかなか練習が続けられない時期でした。個人でジムに通ったり、走ったりしてましたが、今となってはとても貴重な時間を削られたなぁと感じています。

 

大学2年では、5月の東海インカレで初めて出場しました。僕は高校の時に、走高跳、棒高跳、三段跳をしていました。大学では棒高跳をなくして、走幅跳をしようと思い、東海インカレではその3種目で挑みました。走幅跳と三段跳は調子よかったのですが、走高跳がうまく記録が伸びず、2年の夏季を最後に出場しませんでした。種目を絞って練習できるので悔いはなかったです。この年は走幅跳に力を入れていましたね。試合のたびに自己ベスト近くを跳んでいました。しかし、この時期の自己ベストを超えることはこの先もうありませんでした。泣き。

 

大学3年の頃からコロ助君が落ち着いてきて、がっつり練習できるようになりました。そんな矢先に、東海インカレで腿裏を断裂してしまいました。助走している最中に、、初めてだったので結構痛かったです。悔しかったです。その後に練習には参加していましたが、頑張っているみんなを見ながらダイナマ腹筋したり、ストレッチしたりしてました。夏ごろには全快したのでやりすぎないように練習していました。

10月の秋季大会で2度目の軽い断裂をしました。今度は三段跳の助走中にやりました。なにやってんでしょうね。でもこの年は、七大戦や27大を経験して、ようやく大学の陸上って感じがして楽しい年でした。10月から就活も始め、4年になるまでに終えることができました。ただ、ラスト冬季練をあまり詰めなかったのが後々効いてきます(笑)。

 

最後の大学4年では、より一層部活動に力をいれました。アップ時と練習後にバトン練習をしたり、跳躍の助走のリズムなどのテクニカルな部分に対する思考を常に持っていました。自分にできる範囲は限られているので、基礎は当たり前、その上での自分ならではの強みを理解した動きというものを意識していました。冬の時期に就活をしていたので、跳躍練習が積めず、しばらく迷走していました。結果的に徐々に戻ってきていたのですが、案の定自己ベストを出すことはできませんでした。得意としていた攻めの姿勢をどこかでなくしてしまっていたのかもしれません。

記録は出ませんでしたが、今年はたくさん大会に出場しました。リレー組で大垣市選手権に出たり、できることを見つけて仲間で切磋琢磨し合うのってやっぱいいですね。大学4年間の中で一番濃かったと思います。

 

以上が振り返りで、ここから先の話をします。4月から社会人になるわけですが、いよいよ学生人生が終わるのかと思うと、いろんな思い出が蘇ってきて淋しいです。僕は職業にしたかったエンジニア職に就くことができました。そのため、デスクワーク中心でガチで運動をしなければ心身に影響が出そうなので社会人になっても30歳くらいまでは運動してたいなと思っています。陸上は好きなので、大会も出たいです。大会やどこかで発見したら、気軽に話しかけてください。

同じ”チームメイト”だったことは、この先変わることのない関係なので、これからもチームメイトのことは応援します。後輩は、今年の大会で自己ベストを出したり、上位入賞できるように頑張ってください。その先にやりたい事ができて、全力投球する際に陸上を頑張っていた経験は必ず活きると思うので、自分の出せる精一杯のもう一歩向こうへ行けるように頑張ってください。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。僕も陸上を通して得た経験を糧に、これからの社会人生活を頑張りたいと思います。改めて、同期の4年生、先輩、後輩、先生、これまでに出会ったチームメイト達に感謝します。本当にありがとうございました。

 

次は尾崎君に回したいと思います。